上緒方地域の特徴と現状

上冬原区

祖母山支脈である烏岳の北東の麓、徳田川の上流東側に位置し、県道緒方高千穂線が地区の中央部を南北に通ている。          

尾平への通り道として昔から重要な起点であった。現在は広域農道が走り尾平線の拡充工事が着工され今後交通の利便性が増す中、それを利用する方法を考えると良いだろう。稲作が中心だが、女性中心で野菜販売所の設置なども考えられている。

区の構成 椚尾 竜泉寺 姥社 東

令和2年10月1日現在 世帯数28 人口65人

 

右の画像は姥社ですがこれは花本媛(はなおもとひめ)が姥嶽大明神の本性(大蛇)を見て驚き逃げる途中に花本媛の乳母が死んだ。その地に建てられた社が姥社と言われるようになった。

上冬原讃歌 作詞 渡邊定秋 作詞 児玉 源八

1 上冬原の峡(かい)清く 鳥がね楽し 春の野や

  流るる水にハエ走り 緑酒にに花の香るかな

2 田の面(も)に映る蛍追い 童の夢にひたるとも

  心はたぎつ 夏の夜の 空をぞ焦がす はしら松


徳田区

緒方町の西方のほぼ中央に位置する。杵築社のある字水口に源を発した徳田川に沿い、集落が東西に形成されている。上緒方の中心として小学校、中学校があり、竹田や緒方への分岐点となる地区であった。徳田白楊の生家があることで、小学校があったころは子どもと共に父兄も短歌を楽しんでいた。今後もこれを保存維持していくために、中心となるだろう。徳田川の恩恵を受けて稲作にも恵まれている。

区の構成 米山 小松迫 平 内久保 立平 柿木 北向上 北向下

 令和2年10月1日現在 世帯数43 人口96人

 

徳田川の源流に杵築社(妙見様)の創祀は1416年で2016年600年祭が盛大に行われた。画像は徳田白楊の歌碑である。白楊は明治44年11月に生誕するが大正13年旧制竹田中学校在学中に病に侵されれる。療養の傍ら短歌を詠み、土屋文明に、その優れた才能を認められ多くの秀作を残すも、昭和8年23歳の若さで逝去。右の歌碑は旧米山中学校の跡地に建てられている歌碑である。「宵々に 雁鳴きわたる この頃の わかむらきもの こころ寂しけれ」 


開拓区

緒方町中央部西方よりに位置する。昭和24年(1949年)以降の国の食糧増産政策で入植した人々により形成された。木野・中野両区の山林・原野に入植したため、中野第一・第二・牛が迫組合は中野区内にあり、向原・巣石組合は木野区域にある。

令和2年10月1日現在 世帯数19 人口37人

 

開拓者として、土の恩恵を受ける感謝の気持ちを大切にしてきた地区である。「土は人間の生命を育む大切なものである。土はありがたいものである。」という言葉を次世代へ繋いでいくことを目指している。

右の画像は開拓30周年を記念して建立されたものである。開拓区民の苦労の結晶として区民はもとより、多くの人の支援によって建てられたものである。


中野区

祖母山系の烏岳の北西に広がる大地。西方に阿蘇、北に久住の雄大な山並みが展望できる。牛ケ迫の桜は昔から有名で、小学校の遠足でみなが行った場所である。広い畑で農作が盛んである。現在は隣接する開拓区と協力して種々の地域活動が盛んである。

区の構成 横平 中横平 刈政 中野 牛が迫 牛が迫下

令和2年10月1日現在 世帯数29 人口49人

 

画像は烏岳(683メートル)で通称城山とも呼ばれる。天正5年(1577年)堀相模の守が築いたといわれる山城である。天正14年(1586年)島津軍の侵攻の際、村人全員で立てこもり、堀相模の守は討ち死にして、女・子供は他国に売られた。その後豊明神社のお内儀が村人を買い戻している。昨年堀相模の守の墓が偶然発見された。豊明神社の歴史も古く平安中期にはその存在が確認できる。詳しくは上緒方地域遺産に記載しています。中野の馬場の桜並木は緒方音頭にも歌われ、小学生の遠足の定番であった。


大石区

緒方町の最西端に位置し、集落の中央を緒方川の支流小園川が流れて十

角川を挟んで竹田市倉木と太田に接する。大石遺跡の発掘によって、縄文晩期農耕論が明確になった。

区の構成 八屋 高畑 中村 馬場 八戸 小園 榎津留

令和2年10月1日現在 世帯数29 人口64人

 

樫山と言われる山に熊沢蕃山が植林した樹齢400年の巨木が生い茂っている。天正14年の豊薩戦争では大石地区にあった神社仏閣は全て焼き払われた。その後神社のみ再建された。西暦1000年頃は宇佐神宮の荘園だったといわれる。画像は区の名前にもなっている俵上岩である。別名包丁岩ともいわれる 

古代より農耕が行われていた遺跡の存在が物語るように広い農地では受け継がれてきた畑作と稲作が行われている。山林に囲まれ、樫山の歴史にも地域への伝承価値が高い。


木野区

緒方町の南西に位置し、徳田区の西、巣石山南西の大地にあり、緒方川の支流十角川を境にして竹田市に隣接している。高台では広い農地で、酪農やたばこ栽培が行われてきた畑作地域である。現在では引水のおかげで水田が中心となっている。

区の構成 石原 横手 立石 田尾 大村 柴尾

令和2年10月1日現在 世帯数41 人口94人

 

画像は巣石山(455メートル)です。ここも小学校の遠足の定番でした。現在頂上付近は公園化されている。

江戸時代に奥嶽往還という主要道路がこの地を通っていた。文化的な著名人として淡窓伝光霊流の宗家の誕生の地でもある。木野神社の敷地内に大きな顕彰碑が建てられている。


冬原区

 緒方川の支流、徳田川の右岸に位置する。山間の地域性を生かして畑作や稲作が盛んである。ピーマンやなすの栽培などに取組むなど努力を惜しまない地域である。カボスの発祥地として認められる地域でもある。

区の構成 小迫 堂万寺 監物 花木沢 小豆穴 加賀知 大原 柿迫

 令和2年10月1日現在 世帯数34 人口76人

 

江戸時代には冬原組大庄屋衛藤氏の住居があり、政治経済の中心地であった。姥社祭典には上冬原地区と合同で毎年行われている。写真は監物峠の石畳である。岡城下から木浦に通じる往還の面影を残している。すぐそばの墓標に「岡より3里」の銘あり。


下徳田区

 徳田川に沿って水田が広がり豊かな米作り地域である。日当たりの良い段々の水田が続く。緒方への通行にも拠点となってきた地区である。徳田川に沿って県道緒方高千穂線が通リ、東西に狭く、南北に長い地形です。

区の構成 見殿 広井田 馬場上 徳田

令和2年10月1日現在 世帯数27 人口53人

写真は小松社で、毎年9月23日を中心にして柚木地区と秋祭りを行い、五穀豊穣を願う。祭神は花本姫婢女霊、小松重盛等


柚木区

 緒方川の右岸、巣石山(455メートル)の北方に位置する。緒方川沿いに広がる地域は豊富な水に米作りも盛んである。また柚木地区には子宝に恵まれるという霊験あらたかな神社がある。

区の構成 宮畑 柚ノ木 鶴ノ口 尻井 梅木

令和2年10月1日現在 世帯数29 人口71人

 

写真は赤子峠から見渡したもので、一面に田んぼが広がっています。この地区は緒方川本流のほかに支流の尻井川、鶴ノ口川、梅木川が流れており水資源に恵まれていた。今の柚木井路は新しく開削されたもので下流の上年野、原尻地区を含む長大なもので、明治30年に建議されております。又梅木地区には梅木長者伝説があり、黄金を埋めた跡と言われるところが長年掘り返されました。


上年野区

緒方川の中流域、緒方川と徳田川が合流点付近に位置する。昔からトメ石の村と呼ばれてきた。上緒方地区への玄関口として、緒方川と徳田川の合流する地点に架かる長瀬橋と上年野橋の石橋は見事である。

区の構成 平瀬 新飼谷 年野

令和2年10月1日現在 世帯数23 人口47人

 

清流を利用して古い時代より、米作りが行われ、造り酒屋が延べ3軒あった。昔から起業家が多く、セメント工場、製材工場、材木商店、タクシー会社、旅館、雑貨店があった。江戸末期より和紙作りが盛んで旧岡藩時代の許可証が残されている。

 

上年野名所(相撲甚句)  作詞 柳井 勝博

上年野名所を詠めばよー  アアアアアー六連アーチの長瀬橋

平瀬、長瀬のせせらぎと  山紫水明水の里

春は桜の辻川原 夏の楽しみ水遊び ドンドン堰の下

山なら 八原城の下 里人見守る神々は 天神様に薬師様